第5課

【5】アジア・アフリカ諸国の独立アジア・アフリカしょこく の どくりつ

アジア・アフリカの国々では第二次世界大戦中に民族運動が高まってきた。
ヴェトナムは1945年ホー=チ=ミンがヴェトナム民主共和国の独立を宣言したが、それまでヴェトナムを支配していたフランスがこれを認めず、インドシナ戦争が始まった。フランスはこの戦争に大敗し、ジュネーブ休戦条約によって撤退した。フランスに勝ったヴェトナム民主共和国は統一を目指すが、南に樹立にしていたヴェトナム共和国が存在し、南北分断状態となった。そして、アメリカが北ヴェトナム襲撃(北爆)を開始、ヴェトナム戦争が起こった。長いヴェトナム戦争ののちヴェトナム(パリ)和平協定が結ばれ、1976年ヴェトナム社会主義共和国が成立し、ヴェトナムはようやく南北が統一された。
オランダの支配下にあったインドネシアではスカルノが独立宣言をし、オランダとの戦争の後、独立が認められた。続いてフィリピン・ビルマ(ミャンマー)も独立した。
東南アジアの協力機構として、1967年東南アジア諸国連合(ASEAN)1結成された。はじめは反共産主義の性格が強かったが、現在では政治・経済の協力体制になっている。
インドは1947年にイギリスから独立を承認された。しかし、国内でヒンドゥー派とムスリム派の強い対立があったため、ガンディー2の尽力もかなわず、インド・パキスタンとに分離独立した。インドとパキスタンはカシミールの帰属をめぐって、今なお紛争を続けている。
西アジアのパレスチナ地方ではアラブ人とユダヤ人の間で敵対関係が続いていた。戦後、国連がパレスチナ分割案を発表すると、1948年ユダヤ人がイスラエル建国した。これに反対するアラブ諸国と対立するイスラエルがパレスチナ戦争(第1次中東戦争)を起こり、大量のパレスチナ難民が出た。また、1956年エジプトがスエズ運河国有化宣言をすると、イギリス・フランス・イスラエルがエジプトを攻撃、スエズ戦争(第2次中東戦争)が勃発。世論がこの攻撃を非難したため、エジプトのスエズ運河国有化が認められた。このエジプトでは、パレスチナ解放機構(PLO)3が結成され、後にアラファトが議長になった。
他のアフリカ諸国は、1950年代にフランスからモロッコ、チュニジア、アルジェリアが独立。イギリスからスーダン、ガーナが独立した。1960年にはアフリカで17の国が独立、「アフリカの年」と呼ばれた。これらの独立した国々は1963年にアフリカの諸問題を解決するためのアフリカ統一機構(OAU)結成を結成した。南アフリカでは1961年に南アフリカ共和国が成立したが、白人支配が1991年のアパルトヘイト4廃止まで続いた。アパルトヘイト廃止後、マンデラが南アフリカ共和国初の黒人の大統領となった。このようにアフリカでは植民地がなくなっていったが、人種問題や部族間の対立、経済問題など今でも情勢は不安定のままである。
民族意識、平和意識の高まっていたアジア・アフリカ諸国は1955年インドネシアのバンドンでアジア・アフリカ会議を開催、前年に中国の周恩来とインドのネルーの間でかわされた平和五原則を元にした平和十原則(基本的人権と国連憲章の尊重、内政不干渉、紛争の平和的解決、国家主権と領土保全の尊重など)を採択した。この会議をきっかけに、多くの発展途上国は冷戦中の米ソどちらにも属さず中立を主張し「第三勢力」と呼ばれた。

[問1] ASEANとは、どんな体制か、次の中から一つ選びなさい。

(1)イスラエルからパレスチナを解放する機構
(2)南アフリカで行われた人種差別政策
(3)冷戦中の米ソ、どちらにも属さない体制
(4)東南アジアの政治・経済協力機構
[問2] アフリカで17の国が独立した「アフリカの年」は、何年か、次の中から一つ選びなさい。

(1)1945年
(2)1960年
(3)1970年
(4)1991年

トップページへ